2011年10月31日月曜日

1108ロンドン38:トムヤンクン




ハロッズの魚売り場の陳列は、活きているように見せるコンセプト。
クラッシュアイスの上を、魚が泳いでいる。
ロブスターが、這い出しそう。

デミソンのイートインに行って、今日はトムヤンクン。
21/25サイズの海老が3尾も入っていた。(11年8月)

2011年10月28日金曜日

昭和の週最終日は大井町






松江から米子に行き、セミナーを終え、翌朝羽田へ。
羽田からそのまま品川の会議に出席し、夕方遅く終わったが、翌日大井町でセミナーなので当然帰らず、いつもの大井町定宿へ。
ホテルに荷物放り込み、急ぎ足で先日見つけた昭和の居酒屋へ。

三太」は、私より2歳ばかり若い大将と数歳上の女将の2人でやっている。
大将は富山県の氷見、女将は姫路の出身。
どこでどうなったのか一緒になり、長い間大井町駅前のアワーズイン(ビジネスホテル)の下で居酒屋をやっていたが、このホテルが取り壊しになったため、1年ほど前にこの三つ又商店街の裏通りに小さな店を構えた。
2人ともビールちびちび飲みながらやっている、こんな所も昭和だね。

氷見も姫路も魚のおいしい所のせいか、低価格なのに時々いい魚が入っている。
でも今日は氷見の水揚げがあまり良くないということで、何も無し。
無い時は無理して仕入れないところもいいね。

鯵フライがある、これは昭和のメニューだ、何と250円。
揚げたてのちりちりいってる鯵フライには、マカロニサラダと千切りキャベツ、そして芥子。
これぞ昭和の洋食風盛り付け。
一口大を切り出し、芥子をつけて口に入れると、子供の頃のご馳走がよみがえってきた。
焼き餃子は3個ってところがうれしいね。
仕上げに三太ラーメンを頼もうかどうしようか、体重とのバランスで悩み、結局今晩はおでんの仕上げにした。
生芋コンニャクと大根は、どちらも涙が出るほど美味しい。
薄味スープをとどめにグビ。
腹いっぱいで満足し、昭和だらけだった週はおしまい。

2011年10月27日木曜日

今度は松江の昭和




別府から小倉と岡山経由し、伯備線で松江へ。
松江の大橋横、おでんの「庄助
河側のカウンターは、向かいの灯が流れに映り、幻想的眺め。
おでん居酒屋の中と対照的なのが面白い。
この席の前の窓は良い季節で開け放してあり、さわやかな風が入ってくるので、タバコの被害がなくていい。

店内には「操業65年」のビラ。
私の3歳上だ。
これは終戦の年。
敗戦と混乱の中で店を開いたんだろうな。
松江の昭和。

頭から揚げ付きの海老を頼んだら、とても美味しい。
見かけは美味しそうじゃないのに。
名前を聞いたら地元の人は「泥海老」と呼んでいるという。
何だか鬼海老の小さなののように見えるけど。
雲丹を頼んだら、小さいながら板のまま持って来た。
景気良くていいね。

客は地元の人ばかりのよう。
窓ガラスに後ろのカウンターの楽しさが映っていた。

2011年10月26日水曜日

別府も昭和だった






豊後高田の隣町、夕暮れの中を日本の神社の総本山「宇佐八幡宮」にお参り。
広く長い山道で出会った人は数人。
ほとんど人のいなくなった薄暗い神社はあまり気分いいもんじゃないな。
でも気持ちさっぱり。

別府にレンタカーを返し、駅近くのホテルに入り、美味しそうな居酒屋を探しに繁華街に入ったら、ここも昭和の塊だった。
駅前通りの映画館なんか、三国連太郎の若い頃出演の映画を上映中。
商店街に入ったら「昭和ラーメン」なんてのがある。
昭和のガラクタがそこら中に散らばっている「夢倉庫」という居酒屋に入ったら、ダイヤル式の電話を使ってる。
カウンターのおねえさんに聞いたら、ここの社長が昭和好きで、こんな店をいくつも持っているという。
向かいの昭和ラーメンも、商店街突き当たりにある「夢蔵」という居酒屋もこの社長の店。
このカウンターのおねえさん「私が入社の時も、社長に、昭和の物なにかないか、おじいちゃんおばあちゃんの所にないか」と聞かれたそうだ。
知りあい、親戚縁者も、この社長の昭和好きを知っているので、いろいろ集まってくるという。普通なら邪魔な昔のガラクタ喜んでもらってくれるんだから。

仕上げはやっぱりこの社長の店「昭和屋台ラーメン」
豚骨ラーメンは、紅生姜がスープに映えるね!

この社長、歳は未だ50ちょっとというから、当分昭和の塊持つな。
別府そのものも変わらず静かに平和に歳をとって行くんだろうな。
変化無しってのもいいね。

2011年10月25日火曜日

昭和23年11月13日






いつもは賑わうだろう昭和の町も、夕方になり、歩く人もまばら。
この町は、観光客が居なくなると閑散。

だーれも居ない土産屋の奥に、新聞が雑然と置かれている。
コピーだが、昭和の新聞だ。
その1つの束の日付を見たら、昭和23年11月13日。
私が生まれる5日前の新聞だ!!

一面トップは、東京裁判の審判が下った報道。
「東京裁判 廿五被告に断罪下る」
「七被告に絞首刑」
の見出しの下に、東条英機を始めとする全被告の罪状が示され、宣告を受けた瞬間の写真。
こういう日だったんだ……
この5日後、私は生まれた。

別の束を見たら、昭和21年4月30日。
このトップは「第一級戦犯人(廿八名)へ起訴状」とある。
この新聞の横書き見出しは、右から左に書いてある。
昭和21年から23年の間に、横書き見出しが左から右の今の書き方に変わったわけだ。

更にもう1束、昭和17年のには、戦争に突き進み、鼓舞する記事だらけ。
「女も戦ふ 私たちの敵は米・英の女」
「マニラ完全占領」
4コマ漫画は「軍進……」というテーマ

こういう時代だったんだ……

新聞にのめり込んでいたら、昭和の町の商店はどんどん店じまい。
車も通らなくなっていた。

2011年10月24日月曜日

豊後高田の昭和の町






宮崎でセミナーが終わって1泊。
翌土曜日、別府まで行ってレンタカーを借り、念願だった国東半島ぶらぶらドライブ。
海を右に見ながら国東半島を一周し、豊後高田の昭和の町へ。
ここは、地元有志が産業が無い町を何とかしようと協議した結果、町は変化しないまま何十年も経ち、気が付いたら昭和の懐かしいのがそのまま残っていたので、これをそのまま売り出そうと、画期的といおうか、表現しがたい行動に出た結果、今では毎日何十台ものバスが押し寄せるようになったという所。
展示館は昭和の家庭が表現されてはいるが、外の商店街を歩いても同じ状態。
狭いながらも、昭和そのままの街並みだ。

2011年10月20日木曜日

米沢の美味しい秋






出張先をつなげてなるべく効率良く余裕を持って回るスケジュールを作っている。
そのかわり、1つが変更になるとぐちゃぐちゃになってしまう。
今週は一つが変った揚げ句、緊急依頼も入り、東北ウロウロ。
東京から仙台に行き、翌朝仙山線で紅葉始まりの山中を通って山形経由米沢。
終わってそのまま会津若松。1泊して再び米沢。
そのあといったん東京に帰るが、深夜になり翌朝早いので大井町の定宿泊。
朝の会合を途中で抜け出して羽田から宮崎へ。
宮崎のあと週末帰ろうと思えば帰れるが、月曜に松江なので、行きたかった国東半島ブラブラ旅を別府拠点にやる。
別府から岡山経由で松江に入り、1泊してから米子のセミナーへ。
米子に泊まって羽田からそのまま夕方の会合に行き、翌日大井町でセミナーなので帰らず当然大井町定宿泊。
大井町のセミナーが終わると打ち上げがあり、翌朝静岡なので、未だしつこく帰らず、楽しようと再び大井町泊。
静岡セミナーが終わって帰ると、ほぼ2週間。

東北は秋の美味しいものがどんどん出て来ている。
米沢の「志乃」でまず出て来たのは珍しいキノコの「いくじ」
そのあと塩が入った皿が出て来たので「?」
「さっき抜いてきたよ」と、蕪が丸ごと出て来た。
がりっと齧ったら、甘い甘い!
菊が出て来て、抜きたて長ねぎと大根が入った米沢牛のキノコ汁。
女将さんの友達が採ってきてくれたという、でっかい舞茸。
仕上げは「つや姫」のほっかほかご飯とイワシにキノコの味噌汁。
これからどんどん美味しいのが出て来る。