2007年4月12日木曜日

イワナと骨


春のイワナが炭火で焼かれて出て来た。
しかしちょっと違う。
骨が抜かれて、身の横においてあるのだ。
きれいな骨が、パリッと焼かれて、身に立て掛けてある。
尻尾もカットされて、別に置いてある。
これは、イワナ本体から、中骨を抜いて、骨だけ別に焼いたのだ。そうすると骨せんべいになる。
尻尾は、本体と一緒に焼くと焼き過ぎてしまうので、外して適度に焼いたのだ。
つまり、1匹のイワナを、本体、中骨、尻尾の3つにわけて、それぞれ一番おいしい状態で焼いてくれたのだ。
なんと手間をかけて料理をしてくれるのだろうか。
その横にはカラスミまで添えられている。

2007年4月11日水曜日

マグロの足?




アイスバインそっくりの肉の塊だ。
アイスバインは、豚の骨付き脚で、丸ごと食べる豪華料理。
でも、ちょっと違うようだ。
「なんだ、それ?」
「マグロ。千円だったの」
「なんだ? マグロの足か?」
マグロに足は無かった。
「マグロの顎(あご)」

丸ごとグリドルで焼いた。
焼けたら箸で肉を削ぎ外して食べた。
これは凄い。
このあいだ築地行ったらマグロの頭を解体していたが、そのあごのところだ。
一部に軟らかめの軟骨かスジといったのがある。
コリコリして最高。
すっかりしゃぶって骨だけになってしまった。
マグロの解体新書。

2007年4月8日日曜日

選挙、散歩、花見





ゆっくり朝寝して、たっぷり朝飯食べて、腹ごなしに「選挙、散歩、花見」といって家を出た。
近くの小学校で投票をしてから、裏の玉川上水にいつものコースで出た。
セーターを着て出たのだが、しばらく早足で歩いていたら、汗がジワッと。
上水の桜はまだ残っていて、尾長が花の間を飛び交っている。
ウグイスがホーホケキョ。どこにいるのか、見つけようと探すが、葉っぱと同じウグイス色をしているので分からない。音だけが流れの中で響く。

久我山の近くでUターンし、新しくなった法政の横を通り、井の頭公園の西園の外れの400メートルトラックに出た。ここは花見の穴場で、ゆったりとしていて、人も少ない。

そのまま玉川上水を横切って、井の頭公園に入ったら、ボートでびっしり。
ヒョウタン橋の横は、散った桜の花びらで見事にピンク色。
この時期、鴨は隅の方に避難している。
宴会は今日も真っ盛り。
宴会のグループの沖縄の蛇皮線演奏が池に流れていた。
吉祥寺での買い物も含めて、4時間の散歩。
帰ったら、家の前にある誰もいない小さな公園も、桜色だった。

静寂と混雑の対比で面白かった。

2007年4月6日金曜日

巨大ブロッコリー



吉祥寺のいつもの居酒屋に行ったら、特大のブロッコリーがあった。
元力士のマスターに持ってもらって写真を撮った。
マスターの体は大きいのだが、このブロッコリー、マスターの腹の大きさだ。
こんなでかいのがあるんだ。
少しでいいからと「サッと硬めのボイル」を頼んだ。
こんな巨大でも、ばらせば繊細なブロッコリーだ。
つやつやとグリーンに光っている。
活き活きしたおいしさだ。

2007年4月5日木曜日

嵐の翌朝、桜のじゅうたん



全国的に大嵐の日。鳥取で竜巻、東京で雷、大雨、そしてなんと雪だった。
東京の茗荷谷でセミナー一日目が終わり、会場の外に出たら大雨。傘さしてもずぶぬれ。
井の頭公園は桜が散り始めだが、この嵐では宴会はやっていない。
そして、桜は散り、池に落ち、翌朝は、と考えていた。

嵐の翌朝、井の頭公園を通って吉祥寺駅に向かう。
雨上がりのきれいな青空。
桜の花が散り、池にたっぷりと落ち、神田川になって行く出口の方に集まっている。
前日は宴会がなかったので、ゴミは浮いていない。
まだ早いので、カメラを持った撮影者がちらほらと散歩の人たちだけ。
咲き残っている桜は五分。
ヒョウタン橋の前は桜のじゅうたん。

2007年4月3日火曜日

鹿児島のお湯割




知覧でにじみ出た水分を補おうと、上田さんと鹿児島市内の繁盛店へ。
「吾愛人(わかな)」http://www.k-wakana.com/
まずは鹿児島名物キビナゴと小さなアワビの刺し身。
キビナゴは蛍光灯の光でピカピカつややかに光っている。
アワビに「ひょっとして」とレモンを搾り落とすと、やっぱり、ウニョウニョと悶えた。
生ビールたちまちジョッキ3杯。
やっと水分落ち着いたので次はもちろん鹿児島名物焼酎のお湯割。
ここでお湯割を頼むと、既にお湯割にした焼酎が徳利で出てくる。
徳利からぐい飲みのような大きな御猪口にとくとくと注ぎ、ぐいっと。
これは良い方法だ。
冷めないし、でかいお湯のポッともいらないし、手酌でいいし。

2007年4月1日日曜日

知覧の桜




九州新幹線で鹿児島中央駅に着いたら、ずいぶん立派な駅だ。
前からあったのかと聞いたら「西鹿児島駅」を新幹線の駅にしたそうだ。
それなら良く覚えている。
学生時代の長い春休み、冬の北海道を旅行した
。雪の札幌を出て、本州に渡り、急行「八甲田」でのんびり帰って来て、上野駅に朝9時前に着いた。
しかし、アルバイトで稼いだ金と、暇もたっぷりある。まだ帰りたくない。
東京駅に行って時刻表を見たら、もうすぐ急行「西鹿児島」が出る。
自然に乗り、西へ向かった。
雪の札幌で着ていたフード付きの厚いコートは、すぐにいらなくなり、翌朝西鹿児島駅に着いたら暑かった。

40年ぶりの元西鹿児島には、都城に居る上田さんが迎えに来てくれていて、そのまま知覧へ。
知覧は、終戦の年の4月から約3ヶ月間の間、沖縄に集結した米艦隊に特攻し戦死した1035人の隊員の遺品、手紙、遺書、絶筆が、平和祈念として展示してある。
このところ、幕末から終戦後までの、事実を元にした吉村昭の歴史小説を立て続けに読んでいるので、現場に来たわけだ。
日本人として一度見ておかなければならない。

逝った隊員の手紙、短い遺書や絶筆、どれを見ても胸が痛くなる。
文章は、切々と訴える。
写真は、死の直前にどうしてこんなに朗らかに笑っているのだろうと、不思議だ。
静かで厳粛な展示室のあちこちでグシュグシュと鼻をすする音が響く。

隊員の締めていた寄せ書き入りの鉢巻きがある。何でこれがと思って解説を読んだら、突っ込まれた戦艦の米兵が、飛び散った特攻機と隊員の破片の中にこの鉢巻きを見つけ、保管し、戦後遺族に戻されたのだという。
遺書には勇ましいものが多い。どうして? と、不思議だった。
しかし、隊員の中には、地元の女学生などに、隊に出すのとは別の手紙を自宅に送ってくれるように託していた人もいた。託された人は自分の名前ですぐに隊員の親に郵送したという。検閲されていたのだ。
出撃したものの、何回も「故障」で戻ってきた隊員もいた。整備兵は、絶対に故障ではない、と考えながらも、大きな声では言わなかったのだろう。しかし、この隊員も最終的に逝った。
優秀な多くの若人を失った。皆二十歳前後、一番年少で17歳。
彼らが生きていたら、日本で、世界で、どれだけ素晴らしい仕事をしただろうか。

平和会館の外は、桜が満開だった。
知覧の桜は、知覧以外の桜とは違う桜だ。
人の命がにじみ出た桜だ。
宇宙の貴重な生命と意識を大切にしようと、桜は言っていた。
ここは、自分の生き方と、平和を考える人は、行かなければならない場所だ。